「カリフォルニア物語」吉田秋生 [吉田秋生]
20歳まで、本というか小説を読まない子供でした。
物語が嫌いというわけではなく、一種の言語障害ではないか?と思うのですが、文章を読んで意味がわからないのではなく、そこから物語を読み解けなかったりした。一文一文はわかっても、読んでいく内に何が書いてあるのか?わからなくなってしまうのです。。
そんな具合なので、少年少女時代に多くの人が小説で得ていた知識や心の機微を、わたしはマンガ、アニメで得てきた。(今ではけっこう読書家だけどね)
出会ったのは小学6年生のとき、歯医者さんの待合室。そこに数冊(全巻はなかったと思う)あって、暇つぶしに読み始めたのが、この作品との出会いで、マンガ人生のはじまり。
それまでもマンガを読んでいたけれど、「キャンディーキャンディー」「エースをえらえ!」「ベルサイユのばら」、あとホラーが流行っていて、楳図かずおとか、学校にあったのは「はだしのゲン」とか。
皆が読むようなものを一緒に読んでいて、自分の嗜好で選んだわけではない。
わたしのマンガ人生の原点は、やはりこの「カリフォルニア物語」吉田秋生かな〜と思う。
少女マンガ史においての吉田秋生の登場は、ゲイ、ドラッグ、ヒッピー、セックス・・・そういったセンセーショナルな題材が少女マンガに取り入れた事もよく言われているが、
一番は八頭身、お目目キラキラの少女マンガの世界に、生々しく存在する等身大の少年少女を登場させた事だと思う。
それは30年たった今でも吉田秋生の作品に描き続けられている事だと思う。
さて、久しぶりに、本箱から愛蔵書を取り出すと、埃が舞い、ページは黄ばんでいた。
1巻目の初版は昭和54年(1979)で、最終巻の初版は昭和57年(1982)とある。
家にあるコミックは小学館のフラワーコミックス。
現在は、この形のものはない。貴重かもしれない。
↓コレが我が愛蔵書
↓現在は文庫版で読めます。
カリフォルニアに住むヒースという少年が主人公。
高校をドロップアウト。家を出て、自分を公平にみてくれるイディアン(通称)をたよりニューヨークへ。
道すがら知り合った、イーヴ(同居人でゲイ)、ブッチ(悪友)、スウェナ(恋人)。アパートの住人やアルバイト先の人々。父との確執、出来の良い兄、美しく聡明で魅力的な兄嫁・・・ヒースを取り巻く出来事と周囲の人々と織りなす、青春ストーリー。
様々な生き死に、深い悲しみを乗り越え、少年から大人になっていくが、何かが劇的に解決するわけはない。ヒースは魅力的な人ではあるが、良い事ばかりではない人生を鮮烈に描いている。
普通は太陽と温暖な気候に憧れて東から西へ行くロードムービーは多いけれど、「カリフォルニア物語」という名前なのに、逆。そんな所も何か、吉田秋生の描く世界観を象徴しているようにも思う。
こんな事をいうと、暗い重苦しいばかりに思うかもしれないが、 良い事ばかりでもないが、悪い事ばかりでもないのだ。 プッと吹く出すような笑えるシーンもあるし、ひとつの台詞にハッと何かに気づかされるなんてことも。吉田秋生の描くシーンは生き生きとして、鮮烈だ。
何年ぶりかで、何度目かで、読み返してみて、また涙が出た。良い作品は古びない。
この「カリフォルニア物語」で描きたかったテーマを、後年「BANANA FISH」で再び描いている気がする。というか?救われなかった魂を救うために、もう一度描いたのか?・・・
「BANANA FISH」では、日本人の普通の少年が出てくる分、身近なような。IQ180のスーパー美形不良少年が登場して、マンガらしくなっているような・・・。舞台は同じニューヨーク。この作品については、後日改めて。
物語が嫌いというわけではなく、一種の言語障害ではないか?と思うのですが、文章を読んで意味がわからないのではなく、そこから物語を読み解けなかったりした。一文一文はわかっても、読んでいく内に何が書いてあるのか?わからなくなってしまうのです。。
そんな具合なので、少年少女時代に多くの人が小説で得ていた知識や心の機微を、わたしはマンガ、アニメで得てきた。(今ではけっこう読書家だけどね)
出会ったのは小学6年生のとき、歯医者さんの待合室。そこに数冊(全巻はなかったと思う)あって、暇つぶしに読み始めたのが、この作品との出会いで、マンガ人生のはじまり。
それまでもマンガを読んでいたけれど、「キャンディーキャンディー」「エースをえらえ!」「ベルサイユのばら」、あとホラーが流行っていて、楳図かずおとか、学校にあったのは「はだしのゲン」とか。
皆が読むようなものを一緒に読んでいて、自分の嗜好で選んだわけではない。
わたしのマンガ人生の原点は、やはりこの「カリフォルニア物語」吉田秋生かな〜と思う。
少女マンガ史においての吉田秋生の登場は、ゲイ、ドラッグ、ヒッピー、セックス・・・そういったセンセーショナルな題材が少女マンガに取り入れた事もよく言われているが、
一番は八頭身、お目目キラキラの少女マンガの世界に、生々しく存在する等身大の少年少女を登場させた事だと思う。
それは30年たった今でも吉田秋生の作品に描き続けられている事だと思う。
さて、久しぶりに、本箱から愛蔵書を取り出すと、埃が舞い、ページは黄ばんでいた。
1巻目の初版は昭和54年(1979)で、最終巻の初版は昭和57年(1982)とある。
家にあるコミックは小学館のフラワーコミックス。
現在は、この形のものはない。貴重かもしれない。
↓コレが我が愛蔵書
↓現在は文庫版で読めます。
カリフォルニアに住むヒースという少年が主人公。
高校をドロップアウト。家を出て、自分を公平にみてくれるイディアン(通称)をたよりニューヨークへ。
道すがら知り合った、イーヴ(同居人でゲイ)、ブッチ(悪友)、スウェナ(恋人)。アパートの住人やアルバイト先の人々。父との確執、出来の良い兄、美しく聡明で魅力的な兄嫁・・・ヒースを取り巻く出来事と周囲の人々と織りなす、青春ストーリー。
様々な生き死に、深い悲しみを乗り越え、少年から大人になっていくが、何かが劇的に解決するわけはない。ヒースは魅力的な人ではあるが、良い事ばかりではない人生を鮮烈に描いている。
普通は太陽と温暖な気候に憧れて東から西へ行くロードムービーは多いけれど、「カリフォルニア物語」という名前なのに、逆。そんな所も何か、吉田秋生の描く世界観を象徴しているようにも思う。
こんな事をいうと、暗い重苦しいばかりに思うかもしれないが、 良い事ばかりでもないが、悪い事ばかりでもないのだ。 プッと吹く出すような笑えるシーンもあるし、ひとつの台詞にハッと何かに気づかされるなんてことも。吉田秋生の描くシーンは生き生きとして、鮮烈だ。
何年ぶりかで、何度目かで、読み返してみて、また涙が出た。良い作品は古びない。
この「カリフォルニア物語」で描きたかったテーマを、後年「BANANA FISH」で再び描いている気がする。というか?救われなかった魂を救うために、もう一度描いたのか?・・・
「BANANA FISH」では、日本人の普通の少年が出てくる分、身近なような。IQ180のスーパー美形不良少年が登場して、マンガらしくなっているような・・・。舞台は同じニューヨーク。この作品については、後日改めて。
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