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LaLa 白泉社 [マンガ雑誌]

LaLa

白泉社から出版された少女漫画雑誌(多分中高生向け)
前回紹介した「プチフラワー」の前、時期はもしかしたら被っていたかもしれません。
1982〜85年位かな?(中学後半〜高校時代)
確かその前は「花とゆめ」白泉社を購読していて、その流れでこの漫画雑誌へ移行したように思います。
男性執筆陣が結構いる「花とゆめ」に比べて、より女性向けの傾向が強い感じ。ベテラン作家より若手の作家起用していた感がつよかったように思う。

この雑誌でもっとも有名な作品は「綿の国星」大島弓子だと思うが、わたしはこの作品がどうしても読みにくくて好きではなかった。わたしが求めていたまんがより、やや文学的過ぎたのか?ほとんど読み飛ばしてました笑。

主な執筆陣:
山岸凉子「日出処の天子」、成田美名子「エイリアン通り」「CIPHER」、樹なつみ「朱鷺色三角」、吉田秋生「桜の園」、木原敏江「摩利と新吾」など
中でも購読中にデビューした清水玲子、玖保キリコ「シニカル・ヒステリー・アワー」の作品の斬新さはワクワクしたものでした。清水玲子の描く世界観は独特で、衝撃でした。絵も恐ろしく美しかったです。しかし、時折設定が複雑過ぎでわからなくなり、そんなで、その後は読み続けていないですけどね。

あれ〜先日、「プチフラワー」の所で紹介した森川久美の「南京路に花吹雪」はLaLaだ! 同時に購読していたので、混乱? あっ、でも続編を「プチフラワー」に掲載していたのだから・・・へええ、出版社を超えて、作品が移ったりしてるですね。はじめて気がつきました。
話には関係ないけど、20歳頃中国へ旅行に行って、上海の南京路に立って、きゃっきゃっ姉とはしゃいだ記憶があります。笑

この雑誌での印象は成田美名子です。[ぴかぴか(新しい)]
可愛らしい少女漫画らしい絵柄で、きれいでしたね。男のキャラもあまり男性っぽくなくて、中学生くらいには受け入れ安かったのかもしれませんね。
のちに成田美名子の描く男の子に対して、違和感を持つようになってから、徐々に遠ざかりました。
きっとリアルに感じられないお年頃になったからなんでしょうかね。

わたしの中では、LaLaは、文学作品にもとれるしっかりした作品が多かったプチフラワーに比べて、軽く読めるちょっぴりおしゃれな印象の少女漫画雑誌でした。
しかし、毎月楽しみに読んでいたはずなのに、雑誌の形態やイメージ、表紙など、なんだか少しも印象も残っていなくて、ある意味本当に軽い読み物だったんかもしれません。

まあ、他の少女漫画誌に比べとどちらかと言えばアングラ系サブカル系で、新鮮さもあったし、作品もレベルが高かったと思います。扱ってる作品もノーマルなラブコメは少なかった・・・そもそもわたしはそういうのが好きだったみたいです。

「日出処の天子」、「櫻の園」という名作もLaLa掲載だったのですね。今日調べていて・・・そうだったのか?と、気がつきました。
雑誌で読んでいた印象がなく、いづれも後々になってコミックスで購入しました。読んでいた時期に掲載していたのですから、読んでいたと思うし、後の購入したので、きっと面白かったという印象はあったはずですが・・・今は昔、霧の彼方です。
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プチフラワー 小学館 [マンガ雑誌]

今現在はコミックスの購入が中心ですが、
以前は漫画雑誌を購読していた時代もありました。
思い出してみると様々なマンガ雑誌を読んできたな〜と。

当時も現在もこれ以上のマンガ雑誌は無かったなと思うベスト

プチフラワー

小学館で出版された少女漫画誌(対象は中高生以上、否もっと上かな?内容的には・・・自分は高校生だったけど)。創刊は1980年で、隔月刊だったが、1084〜87年の間だけ、月刊誌となった。現在は月刊フラワーズに引き継がれている。

わたしが購読していたのはこの月刊誌時代(1984〜88年)の少し前から読み始め、隔月刊に戻って購読をやめました。
プチフラワーの全盛時代をバッチリ読んだことになります。
実は30歳位まで、このプチフラワーを一冊残らず雑誌の形で保存していたのですが、あまりのかさばりように、我慢出来ず処分。
貴重品だったのに。今なら高く売れたかも・・・と非常に後悔しております。泣

執筆陣は
竹宮恵子「風と木の詩」、萩尾望都「メッシュ」、吉田秋生「河よりも長くゆるやかに」、木原敏江「とりかえばや異聞」「鵺」、山岸涼子「ダフネー」「キメィラ」、佐藤史生「夢見る惑星」「ワン・ゼロ」、岡野玲子「ファンシーダンス」、森川久美「南京路に花吹雪」、秋里和国「眠れる森の美男」、ささやななえ「化粧曼荼羅」、夢野一子、名香智子、大島弓子、波津彬子、森脇真末美、倉多江美、坂田靖子などなど

ちょっとあげただけでも、少女マンガファンには鼻血ものです。
吉田秋生が表紙を飾った回数も半端無いし、あ〜あやっぱとっとけばよかったな〜。[もうやだ~(悲しい顔)]

この執筆陣なので、普通の少女マンガ(単純なラブコメ)は全くなかった。
従来の少女マンガの内容とは逸脱したものが中心でした。わたしって昔っから屈折してたのね〜うん十年たった今もあんまり変わってないわ。
同性愛を扱ったもの、不思議な話、歴史物、SF、ホラーと色々あって、しっかりしたストーリーのものが多かったしレベルもこの時代では最強だったと思います。
しかし、その割に自分の周りにはこの雑誌を購読している人間が少なく、今思うと,高校生はもっとお気楽で軽いものを好んでいたのかもしれないですね。わたしが当時思っていたより対象年齢は上だったのかもしれませんね。

「ファンシーダンス」なんて、現代の修行僧の話だし、「ワン・ゼロ」はコンピューターと宗教の話、木原敏江のこの頃の作品は現在宝塚の舞台の原作になっている、「南京路に花吹雪」は歴史物だし・・・あの時代としては視点が新しかったと思います。
「ワン・ゼロ」なんて、現代のいろいろな状況を予言しているような事物も出て来て、すごいなと思います。この作品については、またいづれ・・・




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